第0回 岸和田・大阪
おいてけと相方のぺっぺが原付に乗り始める頃から
原付同好会「おいてけぼり」を結成するまで


2001年4月 愛知県運転免許試験場

学科試験終了。結果までの時間が長い・・・。と、電光掲示板に自分の番号。受かったじゃん。

「まあそんなもんだよな・・・。」

紙を一枚受け取る。そこには先ほどの試験の点数が。




100点。




「はぁ?」


これは俄かには信じがたいが・・・。


同年同月 近くの公園

おいてけ(以下僕)が免許を取る少し前、姉が原付免許を取り、家には原付(JOG POCHE)が一台。

姉はどうやら乗らないとのことなので早速乗ってみる。

「乗り物はいいね。」

これまで自転車と自分の足に頼ってきた移動手段に新しく追加された「原付」。

・・・でも。


同年8月 うちの近所

『だっさぁ〜』

ほう、言ってくれるじゃないか、中学生よ、君らは乗ることもできんだろうに。

この一言が僕の闘争本能に火をつけた。

といっても別に喧嘩を吹っかけたりとかそんなんではなくて、

「新しい原付(カッコいいヤツ)を買おう」

である。


同年10月 名古屋市のバイク屋「NEWTRAL」

・・・迷わず決めろ、

・・・迷ったら負けだ、

・・・1ヶ月前から狙ってた獲物だろ?

今を逃したらもう手に入らないかもしれないぞ・・・。

「・・・これ、ください」

購入から1週間後、納車された。




「CB50JX-1」




そもそも僕は普通車免許しか持っていない。

そんな僕は中免にあこがれた時期もあったことは間違いないんだが。

こいつとの出会いで、その気持ちは薄れたというか・・・。


遡ること数年 市内某公園

僕が始めて原付に乗ったのは高校2年の頃だった。

現在本サイトでカキコ要員のすだれんの当時持っていたlive Dio ZXに公園内でチョロット乗せてもらった。

直線10mを走ったが、ちょっと怖い気もした。


それから数年 家から50m離れた路上

初めてミッション車に乗ったのは免許を取ってからのこと。

小学校来の友人の持つNS-1に乗った。

シフトチェンジが出来なくて断念した。


2001年10月 学校への往復の道

実際に納車されるまでの数日間、ただ手をこまねいてまっていたわけではない。

このまま来ても、乗る技術が無いから乗れないのだ。

当時はまだスクーターで学校に向かっていた。

そのスクーターで・・・

「イメージトレーニング」

やりました。

左手(リアブレーキ)をクラッチと思い込んで、

左足(何も無い)にシフトペダルがあると思い込んで。


同年同月 愛知県運転免許試験場

僕は現在会員であるぺっぺに免許を取らせ・・・取ってもらった。

というのも、当時バイトが同じで、帰りに僕が原付で彼が自転車では結構大変だったからだ。

「肩につかまって原チャで引っ張ったりしたねぇ」




最高55キロでした。




一度落ちたものの二回目で合格したようだ。


同年同月 近所の道

「イメトレ」の結果は・・・

完璧に乗れた。

しかし・・・




「肝心のバイクが不調じゃん。」




結局入退院を繰り返し数ヶ月が過ぎて・・・


同年12月末 自宅ガレージ

「CB50S」

以前買ったJX-1の隣においてあったやつ。

追い金出して買いました。



2002年2月 緑区のバイク屋「グリーンパーク」

彼は練習を重ねた。乗れないから。

でも乗らないと帰れないから。

帰り道ではエンストもしたようだが、無事帰ってきた。


同年4月 自宅にて

おいてけ「なんかどっか行きたくない?」

ぺっぺ「遠出したいよね」

おいてけ&ぺっぺ「原付で」

ぺっぺ「でも泊まるとこないよね」

おいてけ「じゃあ岸和田行こうか」

ぺっぺ「岸和田?」

おいてけ「岸和田。だって親戚いるんでしょ?」



二人、酒を飲む。



ぺっぺ「岸和田ぁ?」

おいてけ「じゃ決定ね」



「適当だな・・・」


2002年5月 おいてけ自宅

その日は雨だった。小降りではあるが。
午前8時、誰に見送られることなく、二台の原付はおいてけ宅を後にする。


同年同月 一日目

国道一号線を一路西へと向かう。


前日 おいてけ自宅

おいてけ「じゃあこの道で。」
ぺっぺ「任す。」

ルートはおいてけが一任された。


再び一日目 往路

何の変哲も無い町並みを抜けて、徐々に田畑が目立つようになる。しかし、名古屋のベッドタウンだけあり、民家は多い。そんな町並みを雨に打たれながら西へ。
中部の三大河川ともいえる、木曽、長良、揖斐川を越え、三重県桑名市に入る。突然、それまで対面通行だった道路が一気に三車線に増える。どうやら中心部のようだ。
ここで初の休憩を取る。桑名市参宮町のサークルK。今後のロングツーリングで、毎回お世話になる事となるスポンサー的存在。

しばしの休息を取り再出発。桑名市内で国道23号に乗り換え、さらに南下する。伊勢湾岸道を左手に見ながら、中京工業地帯、石油コンビナートの街、四日市に入る。
しばし大型車と並走するとやがて田園地帯に。鈴鹿市である。世界的に有名な国際サーキットを抱えるこの街も、少し郊外に出れば田園地帯が広がる自然豊かな都市である。
そんな緑を横目にさらに南下。世界一短い地名の三重県庁所在地、津市へ。

流石に県庁所在地である。政令指定都市には及ばないものの、高層ビルが立ち並ぶ。商店街のアーケードにて一度ルート確認。右折する交差点名を覚える。
「雲出本郷」交差点を二段階右折し(原付なので)、国道165号に乗る。そのまま市街地を抜け、内陸部、久居市に西へと舵を取る。
その後ファミリーマートで昼食をとり、さらに西へと向かう。徐々に山が広がっていく。朝から降り続いた雨はやや上がってきた。

青山高原。風力発電で有名なこの高原の脇をかすめるように、峠道を登っていく。
濃霧により視界不良。先行車のテールランプ、中央線を頼りに進んでいく。10m先が見えない。ここまでの霧に見舞われたのは生まれて初めてだ。
霧を抜けると、そこは雪国・・・ではなく、

名張市。
ふとガソリンが気になり、市内のスタンドで給油。2リットル。どうやら燃料は問題にしなくても良いようだが。
山間の街を抜ける。ふと県境。奈良県にはいる。道の駅「宇陀路室生」で休憩。雨はすっかり上がっている。

しばしの休憩を取り、再び西へ。そう、目的地は大阪府岸和田市。行程の半分も走っていないのだ。

峠道は長くは続かず、榛原。と、何か渋滞している。しばらく走ると・・・
長谷寺。どうやら祭りのようだ。長谷寺の横を抜けると、桜井、橿原、大和高田と、中規模都市が肩を並べる。国道166号に乗り換える。道幅のさほど広くない国道を走り、気付けば再び峠道に入る。
竹内峠だ。短い峠道を抜けると、再び中規模都市にはいる。羽曳野市。
制限速度20キロの国道を走り、市街地へと抜ける。大阪府道31号、2号と乗り継ぎ、阪和自動車道をくぐる。道なりに進み、堺市に入る。
左折し国道26号へ。阪神工業地帯の真っ只中。大型の工場、民家、マンション等いろいろな建物が景色のなかを流れていく。高架道路には上れないため(原付ですので)、下道を通る。
この辺りから空が泣き出した。本降りだ。いまさら仕方が無い。9割がたの行程を走ってきて、いまさら引き返すわけには行かないのだ。雨に打たれながら(もちろん合羽は装備している)1時間。
岸和田市に入る。とある交差点を右折、路地に入り、今回の目的地、ぺっぺの親戚の家に到着する。
なんと9時間半。長かった。

そこではぺっぺの祖父母、父が出迎えてくれた。「双月」というお好み焼きやで夕食をいただく。
うちに帰り、翌日の行動計画を立てる。大阪市内観光。漠然と決まっていたが。


二日目 ぺっぺ親戚宅

朝、起きる。前日の疲れが残っているのか、背筋、腕にだるさが残る。
朝食を済ませ、大阪市内へ行こうと思ったその時。
・・・靴が濡れててはけない。
どうやら前日の雨のせいで。
急いで乾かし、いざ市内へ。

おいてけにとっては生まれて初めての大阪である。ぺっぺの父に連れられ、まずは南海電鉄「蛸地蔵」より一路「難波」へ向かう。
初日とは打って変わってこの日は快晴。5月としては非常に暑い夏日となった。
難波へつくと、アーケード街へ。自由軒のカレー、松屋のうどん、蓬莱の豚まん、北極のアイスを食べ歩く。どれも絶品だった。さすが食い倒れの街である。 その後、ぺっぺ父と別れ、ぺっぺと二人で市内散策。難波のビッグカメラ、道頓堀、グリコの管板(ちょうどワールドカップの時期だったため、日本代表のユニフォームを着ていた。)を拝見、 地下鉄に乗り梅田へ。梅田では大阪駅周辺を散策。ヨドバシカメラの大きさに圧倒されつつ、次の目的地、日本橋に。 日本橋ではガンダムショップ(もう無いそうだが)、でんでんタウン(東京の秋葉原や、名古屋の大須見たいな所、つまり電気街)を散策し、夕方頃帰路に着く。

大阪というものを端っこだけかじり、初めての大阪旅行は幕を閉じた。

その日の夜、夕食をとり、しばらくすると、ぺっぺの双子の姉登場。前日に引き続き、双月に足を運び、へんてこな名前のデザートを食す。味は・・・微妙だった。 帰宅後は帰路のルート設定。往路とは違う、岸和田から名古屋を比較的直線で結べるルートを選択した。やはり9時間半は時間がかかりすぎである。


三日目 復路

この日も快晴・・・といいたかったが、やや雲のかかる天気。気温は低めの18度。ジャケット無しでは走っていると肌寒い。 前日に設定したとおりのルートをたどり、国道26号を北上、「葛の葉町北」交差点を右折、大阪府道36号を北東へと走る。 途中、歩道橋を使い線路を越す。迂回路を使えばそんな必要はなかったが、道がよく分からないのでそういう選択をした。まあ、いいでしょう。 「西大塚東」交差点を左折するとそこは藤井寺市。その昔、大阪近鉄バファローズが本拠地を構えた場所である。藤井寺球場を一目見ようとコンビニで地図を見る。なぜか購入。 藤井寺球場を見た後は、道なりに進み、国道25号に。只管走ると奈良県に。

走り続けること1時間、法隆寺を左手に確認。・・・通過。僕らは史跡を訪ねることをしない。勿体ないことこの上ないが、走ることが楽しかったことと、もう一つ、走るのに必死だったから。 国道24号に乗り換え、北上、ここで給油。2,6リットル。やはりガソリンは気にしなくても良いようだ・・・。さらに北上、奈良市に入る。 平城宮跡を左手に、北上を続ける。

京都府に入り、木津町のサークルKで昼食。ここで一台の原付に出会う。 昼食を終えた後、走り出すと、先ほど会った原付とその友達。 こっちを指差してるよ・・・。

ぺっぺ「おおかた名古屋ナンバーだったから驚いて話題にでも上がってるんじゃねぇの?」
おいてけ「だね。」

国道163号にのり東へ向かう。川沿いで山間の綺麗な道を抜けると、三重県に。
上野市である。ローソンで休憩をとった後、直進、国道25号にのる。

国道25号といっても、名阪国道ではない。なぜなら、僕らは原付だから。 その旧道というべきわき道を走る。
やや荒れた細い山道が、周辺の集落を繋いでいる。名阪国道と比較するにはあまりにもか細く、華も無い国道。それでもこの道はこの辺りの集落を結ぶ重要な生活道路なのである。 そんな国道を走っていると、少し砂利の多いカーブに差し掛かる。ここは生活道路であるのと同時に付近に存在する採石場の石を運ぶための道路でもある。そんな多重人格な道路で、だ。

ぺっぺ「うわ〜!!」
おいてけ「何だぁ!?」
後ろを走っていたぺっぺが前を走るおいてけの右側に飛び出してくる!!
その瞬間対向車の大型ダンプカーが!

ぺっぺ「あぶねぇ〜・・・」

危険です。砂利により制動性を失ったぺっぺのエイプ。危うく大型ダンプ対原付バイクという無差別級ファイトを拝見できるところだった。

・・・南無三。

また山道を走り抜ける。集落の中に田園地帯も広がるのどかな風景。老後はここで暮らしたい。そんなことを思いながら国道25号は終端(では無いのだが)、国道1号線に合流。 右折してすぐの道の駅「関宿」で一時間ぶりの休憩。危うく事故に遭いそうだったことも楽しい思い出と、しばしの休憩を取る。
再出発後は国道一号線を東へと走る。国道23号まで直進した後、名古屋までは一本道。長島温泉を右手に三大河川を渡ればそこはもう愛知県。 飛島村を抜け、日光川を渡るとそこはもう名古屋市。遂に帰ってきた。うれしい反面、もう旅が終わってしまうのかと思うと寂しい気もする。それもまた旅の醍醐味である。 岸和田から7時間半、やや時間短縮が図られた復路はこうしておいてけ宅にゴール、初めてにしていきなりのロングツーリングの幕を閉じた。


2002年6月 おいてけ宅

おいてけ「なんか原付クラブ作りたいな〜」
ぺっぺ「ラジコンはどうすんだよ」
おいてけ「集まんないから出来ないじゃん」
ぺっぺ「・・・。」

この日は数年前から行ってきたラジコンレースの開催日。でも、人が思うように集まらない。
この日を境に活動を休止し、その代わり、原付での活動を中心としたクラブを立ち上げた。

ゼロハンレストアクラブ(以下ZRC)

・・・しかし。


同年8月 いつもおいてけ宅

結局、原付のレストアというものには資本がいる。学生の身で資本を稼ぐことがこんなんと感じた僕らは、方針を「ツーリング」に変えることとする。

おいてけ「名前、なんにしようか」
ぺっぺ「なんか平仮名で。カッコいい名前じゃなくでいいし。」
おいてけ「う〜ん」
ぺっぺ「おいてけぼり、は?」

その後。

おいてけ&ぺっぺ「また大阪行きたい。」

そして遂に原付同好会「おいてけぼり」が発足、さらに第一回ツーリングの目的地が大阪に決まったわけで・・・。


CB50STouringに戻る